なんでもいい
経験を通して
感情を
体験しているのなら
世の中が指し示す
常識や
よい、悪い
快、不快などに
関係なく
楽しんでしまうのも手だ。
不快だ、嫌だと思う現象を通して
スパイスをきかせて
人生をピリッとさせていたり
嬉しいと思う現象を通して
ほっこりして
人生に温かさを感じたり
安心安全な場所から
観客のように
それらを見たり体感したりしている。
ということは
いい、悪いのジャッジはない
ということになり
本質的なところでは
傷つきもしないし
よいといわれることが
栄養源になるわけでもない。
なんにでもない
ただそれ、というだけ。
だから、快、不快
価値がある、ないで
幸、不幸は決まらない
ということでもある。
だから
なんでもいい。
もしかしたら
なんでもいい、ことすら
どうでもいいのかもしれない。
ただ、その
なんにでもさえ
いろんな感情を
楽しみ
味わい尽くそうとする
遊び心があるのかもしれない。
安全安心場所から。
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