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欲しいは

欲しいを呼ぶと

言うけれど

欲しいって

実は

自然なんじゃないかな。






生きる意欲があるってことだし

諦めてはいないということだし

希望があるということだから。






だから

素直に欲しいで

いいんじゃないだろうか。






だって

レストランに行ったとき

注文しないと

食べたいものは出てこないし。






ないのに

ありますってことにして

引き寄せようとするのも

しっくりこないし。






たとえ

今、それがなくても

今、そうでなくても

日々の暮らしの中の

楽しめるものや

あるなってものを

見つけることや

楽しむことはできる。






そんな、いつもの先に

願いが届いたときにも

ありがとうと

快く受け取ることができる。






これがあったらいいな。

こうなったらいいな。

不足からではなく

こうだったらいいなって

安心して呟ける

そんな日々の暮らしがいいな。

なにか結果を出さないと

今日の成果は?






このままでいいのかな、と

不安になる。






せめて

結果や成果につながる

兆しは見えるのか

感じられるのかと

自分をせかし。






はたまた

結果や成果につながる

行動をしたのかと

自分を見張る。






それでは

心も身体も休まらないな。






でも

これ

ただの癖。






あるとき

身につけたものだから

いつからでも

どこからでも

解除できる。






だから、大丈夫。

普段なにげにやっていることは

いつものこと過ぎて

気がつきにくいから

誰かに聞くと

自分のよさや強みが

見えてくるよ、とよく聞きます。






確かに、その通りで

いつものようにやっただけなのに

妙に感謝されたり

褒められたり

そんなことあります。






だから

信頼できる誰かに聞くって

大事です。






でも

その自分のよさを聞いたとき

心が重くなったり

本当は、それは、ちょっとと

思ったりすることがあるのなら

そのよさや強みは

自分を犠牲にさせて

成り立っていたのかもしれません。






そのあたりを明らかにしないと

よいところだって言われてるし

役に立っているのなら、などと

やり続けてしまう。

結局

自分が我慢する

人を優先するを繰り返す

そんな事態になりかねません。






それは、不自然なこと。






自分がすんなりと

出せるもの

できること

自分を作りこまなくても

無理なくできることが

本当のよさや強みです。






その証拠に

いつも通りにしていただけで

軽やかさが感じられるでしょう。

日常感があふれるもの

それが自然なことです。

楽しいことがあれば

幸せになれると

思ってきたけれど

そうとも言い切れないな、と

そんな気がしてきた今日この頃。






楽しむとは

いくら楽しいことがあっても

自分が楽しもうとしないと

楽しむ自分がいないと

成立しないのだから

楽しいことだけあっても

楽しむってことには

ならないんじゃないのかと

単純に、そう思ったのです。






だから

楽しめる気分じゃないのに

ポジティブにしないと

幸せになれないからって

無理に楽しもうとするのは

やめにした方がいい。






誰かや何かが

楽しませてくれれば

楽しめるんだけれど

それも、やめにした方がいい。






さて

気分がのらないのなら

楽しむ気分じゃないんだな、と

心の内を知ることだ。






その上で

どうしていきたいのか。

どうしたいのか。

どうありたいのか。






それを粛々とやっていく。






楽しむって

案外、地味なのかもしれない。

でも、きっと人生を

味わい深くしてくれる。

心配なこと

嫌なこと

気になることがあると

そのことで

頭がいっぱいいっぱいに

なってしまうことありますよね。






そんなとき

片づけをするなど

身体を動かして

気をそらしてみたり

大丈夫、問題ないなどと

自分自身に声をかけ

落ち着かせようとしたり

いろいろな方法があると思います。






いつも有効なものもあれば

そのときの調子によっては

余計イライラする

そんなこともあるものです。






だから

どれが一番いいとかではなく

いろんな方法を知っていると

そのときの自分の調子に合わせて

選べたらいいんじゃないかなと

思っています。






気になることを

『とことんまで考えてみる』を

やったことがあります。






こうなったら

こうなるかもしれないという

シミュレーションを

とにかく繰り返すだけ。

解決方法を

知りたかったからではなく

どこまで続くのかなという

好奇心の方が強かった。






どうなっていったかというと

やがて絞りださないと

出てこなくなるのです。

それでも続けていると

荒唐無稽なことまで出てくる始末。

それはないだろとニヤッとしたり

そんなに気にすることはないかもと

思えてきたりするから不思議です。






そんな方法も

いつでも

誰にでも

有効なわけではないけれど

手段の一つとして

持っておくのも

悪くはないかなと思っています。

心配ごとが

一つ解消しても

また新たな心配を

見つけてしまう。






心配の種探しが

呼吸しているのと

同じくらい

自然にできるようになると

癖となる。






なぜそうなったかより

自分にとって

どんな利点があるのかを

調べてみるとおもしろい。






私の場合

心配ごとがあった方が

おもしろくなると

思っていることに

気がついた。






解決した後の

やり切った感

充実感

清々しさのため。






スパイスや味変

みたいなものだろうか。






そのメカニズムを知った上で

一つの娯楽として

自分の中で楽しむもよし

達成感、充実感は

違うことでも味わえるので

変えるのもよし。






どっちにしろ

どれにしろ

自分がよい方に

自分で選べるし

決められるのだ。






ならば

自分好みの癖も

作ってしまえばいい。






そうすれば

呼吸を自然にしているのと

同じくらい

日々の暮らしが

好みのものに

なっていくんじゃないかな。

誰かの役に立つ。

感謝。






これは

湧き上がるもの。

気がついたらそうしていた。






でも、もし

成功の秘訣は

引き寄せるためには

願いを叶えるためには

人の役に立つこと

感謝すること、と

聞くから

役に立たなきゃ

感謝しなきゃと

思っているのなら

もはやそれは

ただの我慢。






そうしなきゃと

気が急いてきたら

我慢を重ねようとしている

そんな不自然さに気がつこう。






我慢をしないことは

無礼者になる

自分勝手になる

ということではない。






人の役に立つ

感謝が

自分と

自分以外の世界との間で

自然にやり取りされること。






だから

自分も

誰かからの

サポートや感謝を

ありのまま受け取ってもいい。






おたがいさまの世界だから。

きのこが好きなので

普段から

よく食べていますが

どんこを食べるのは

久しぶりでした。






やはり

どんこはおいしい。

うまみがぎゅっと

詰まっているから

噛んでも噛んでも

噛めば噛むほど

味わい深い。






そんな

どんこのような人に

なりたいものだ。

優柔不断

人任せ

投げやり、など

あまり

よい使われ方をしない。






でも

よく見てみると

なんでもよいってことは

なんでもあるってことで

なにを選んでも選ばなくても

よいってことになる。

なんにでも対応できる

懐の深さと潔さすら見えてくる。






こういうの無敵って言うのかな。

やはりパワーワードだ。

間違いや失敗

うまくいかなかったことが

実は

今の喜び

幸せ

成功に

繋がっていたという

話を耳にします。






ということはですよ。






それは

はなっから

間違いや失敗などでは

なかったということに

ならないだろうか。






そうだとしたら

安心して

間違ったり

失敗したりできる。






心には

不安の代わりに

余裕が生まれる。