何者でもないの秘めたる可能性
はなっから
何者でもないのに
何者かになろうとするから
よくわからなくなる。
何者かになったとしても
それを維持するのに
自分をすり減らし
バランスが崩れてしまうなら
それは我慢の上に成立していることで
長続きはせず
結果、何者かになったとは言えない。
言えないから
失敗ということではなく
そもそも何者でもないということを
体感した、わかったということだ。
では、何者でもないということは
どっちつかずの存在ということではなくて
ここにいると言う証であり安心も伴う。
裏を返せば
何者でもないということは
なんにでもなれる
変化できるということだ。
よって
何者でもないということは
可能性の塊とも言える。
可能性の塊を
どうしていくかは
自己裁量で
自由ということでもある。
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