何者でもないの秘めたる可能性

はなっから

何者でもないのに

何者かになろうとするから

よくわからなくなる。






何者かになったとしても

それを維持するのに

自分をすり減らし

バランスが崩れてしまうなら

それは我慢の上に成立していることで

長続きはせず

結果、何者かになったとは言えない。






言えないから

失敗ということではなく

そもそも何者でもないということを

体感した、わかったということだ。






では、何者でもないということは

どっちつかずの存在ということではなくて

ここにいると言う証であり安心も伴う。

裏を返せば

何者でもないということは

なんにでもなれる

変化できるということだ。






よって

何者でもないということは

可能性の塊とも言える。






可能性の塊を

どうしていくかは

自己裁量で

自由ということでもある。

人生まるっこ、おもしろ、おかしく好きに生きる♪

日々の暮らしの中で見つけた おもしろかったこと おいしかったもの 気になること 心のこと 身体のこと 目に見えない世界のことなどを ゆるりと綴っていきます。

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