足ぶみか、後退か
『今のままの自分でいい。』
本来は
自分のことを自分のままでいい
今のありのままでいい、などと
思う必要も
認める必要もないのです。
なぜなら
『今は』
『今のままの自分でいい』からです。
いちいち、自分は人間と思って
暮らしていないのと一緒です。
では、なぜ
『今のままの自分でいい』という生き方が
難しいと感じるのか。
そういう生き方をしてこなかったから。
はじめは、あれができていない
これができていないなどと
大人に言われ続けて育ち
やがて自分も大人になると
自分に対して
そのように接してきたからです。
今のままでいいと言われる経験も
少なかったと思います。
いろんなことが、できたり
増えたりすると完璧になっていく。
そして、他の人から認められたら
そう思っていもいいし
それが幸せだ
今のままでは不十分だと
解釈を勘違いしてきたのです。
ありのままを認めたら
成長が止まってしまうのでは?と
不安になるかもしれません。
それは本当だろうか。
ありのままの自分が
今を生きていくと
成長や変化も続いていくと
考えています。
例えば、自転車に乗れないとする。
『今のありのままの自分でいい』とは
乗れないことを知っているという状態で
乗れるからマルで
乗れないからバツ、などで
判定していないということ。
その上で、乗れないを知っているので
乗れるようになるには
どうしていこうかと考えられる。
そして行動していくので
成長が止まることはありません。
事実が見えているので
かけ離れた練習方法をしようとしたり
実行したりしないと思うのです。
かえって、早く自転車に
乗れるようになるかもしれません。
そして、選択肢が広がるので
乗れなくてもいいなんてことに
なるかもしれません。
『今のままの自分でいい』は
自分に選択権があること知り
自分に敬意をもっているとも言えます。
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