それでもぶつけるときはぶつける
次元が低かろうが
次元が高かろうが
目覚めていようが
目覚めていまいが
足の小指をテーブルの角に
ぶつけるときはぶつける。
目覚めていたら
神さまに応援されていたら
いやなことや痛いことが
起こらないということではない。
本来は
あるけどない
ないけどある
可能性の塊。
でも
身体を有して
ここに存在しているのだから
いろいろあるし起こる。
可能性でしかない自分が
制限があったり
個という癖があったりする
シチュエーションで
いろいろ経験し体験していく。
だから
むやみに意味づけをしたり
ネガティブになってはいけないと
決めつけたり、我慢したり
ポジティブにしようとしたりせず
可能性でしかない自分が
身体を有している特殊な状況を
うまく、なじませていくと
自分を取り巻く環境や状況も
自然と変化していくと思います。
自分と向き合い
知っていくことで見えてくる
偽ポジティブではない
肩の力が抜けた
自分好みのたたずまい。
人生って
可能性しかないありようを
身体を有しているここでいかに
表現できるか、なのかもしれない。
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