欲することは自然なこと

こうなりたい

あれが欲しい、などなど

いろんな願いが

心に芽生えますが

欲があると

新しい地球なのか

高次の次元なのか

よくわかりませんが

行けないらしいんです。

そんな話を聞いたことがある。






いいな

行きたいな

食べたいな、など

願いって

原動力になったり

少し広げてみると

こういうのがあれば便利なのにが

発明品を生み出したり

世の中を変えたりもします。






だから

欲をよくないにしちゃうと

不自然じゃないかなと思います。






でもね

スピリチュアルな業界や

精神世界などについて

学んでいる方の中には

『お金が欲しい』とか

言っていると

次元が低いとか

振り落とされるとか

そう表現される方もいる。






多分だけれど

強欲は、ちょっとねってことを

表現しているんだろうなと

思いつつ

「欲を持つのはよくない」と

決めつけるのは

どうなんだろうという疑問も

同時にわいてくる。






だって

そういう割には

働くのは洗脳されているからだと

言いながら

安定した職業を選んでいたり

ものすごい高い講座を

提供している方がいたりする。






働いたり

お給料をもらったり

高い商品を提供するのが

よくないと言っているのではなく

つじつまが合わなさ過ぎて

どういうこと?ってなる。

極端すぎると

自ら生きにくさを

作るんじゃないかなとも思う。






スピリチュアルを

暮らしに取り入れ

心も身体も楽にして

生きていこうとしたのに

逆に生きにくくなるのなら

そのスピリチュアルは

自分に合っていないということ。

本質からずれている

スピリチュアルかもしれません。

それってスピリチュアルなのかな。






人は可能性の塊であるけれど

身体を有しているので

制限や期限がある。

だから

なにを選び

どう表現していくかを

今やっていて

そうやって経験しながら

生きていく。






すべてあるは

ある意味カオス。

でも混乱ではなく

陰と陽、両方あるということ。






両方あるということは

欲は持ってはいけないも

持ってもいいもあるってこと。

新しい地球に行けるかなと

気にするより

自分は、どうありたいのか

どうしていきたいのかを

気にした方がいい。






その、どちらを選んでも

すべてあるのだから

どちらでもいいし

どちらでもなくてもいい

ということ。






じゃぁ、どうする?

それは自分が自分に対して

投げかける大事な問いかけ。






そうやって

自分のために

自分が

自分を

丁寧に

扱っていくことで

可能性の場から

合致するものが

ひょっこり顔を出すのではないかと

推測しています。

人生まるっこ、おもしろ、おかしく好きに生きる♪

日々の暮らしの中で見つけた おもしろかったこと おいしかったもの 気になること 心のこと 身体のこと 目に見えない世界のことなどを ゆるりと綴っていきます。

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